【黒船貴重資料】1-大黒屋光太夫/ロシア漂流民/幕府取調写/水戸徳川家臣/虫食連番ラミネート保存★古文書/書状/松平/江戸/まとめて一括 最高

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全体的に虫食いが多い為、連番を付けて、一枚毎にラミネートに収めて、史料として保管が出来るようにしてあります。判読には支障が無いかと思います。
=説明=
江戸時代にロシアに漂着し帰国した、大黒屋光太夫を幕府が取り調べした際の調書。水戸徳川家の家臣が書き写した貴重史料。※冊子であったものを広げて連番を付けてラミネートに保存。

出品物には、写真中央にある、幕府側の仰々しい大行列を記したものもございます。※異国船入港の際の幕府が策定した、幕府船団の配列配備。非常に長いもので、船の役割、人員配置も記載されております。表題:異国船漂流之節船備書

浜田藩松平家家老岡田頼母関連、御家督相続御定書も関連外史料として含まれます。
大黒屋 光太夫江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭。天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に面会して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。
幕府老中の松平定信は光太夫を利用してロシアとの交渉を目論んだが失脚する。その後は江戸で屋敷を与えられ、数少ない異国見聞者として桂川甫周や大槻玄沢ら蘭学者と交流し、蘭学発展に寄与した。甫周による聞き取り『北槎聞略』が資料として残され、波乱に満ちたその人生史は小説や映画などで度々取りあげられている。

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